社労士コラム

生産性向上のために企業が出来ることについて

社会保険労務士
鈴木 浩 氏
 いま、日本の企業(特に中小企業)が生産性向上に取り組まなければならない背景には、マクロな構造変化と、ミクロな労務管理上の課題が複雑に絡み合っています。

本コラムでは、企業の「人」と「組織」の専門家である社会保険労務士(社労士)の視点から、生産性向上の背景にある課題を整理し、具体的な対策、そしてその取り組みがもたらすメリット・デメリットについて解説いたします。

いま、日本の企業(特に中小企業)が生産性向上に取り組まなければならない背景には、マクロな構造変化と、ミクロな労務管理上の課題が複雑に絡み合っています。
① 労働力不足と「2024年問題」の余波
 生産年齢人口の減少により、従来の「労働時間を増やして売上を確保する」というビジネスモデルは完全に限界を迎えています。さらに、2024年4月から本格適用された時間外労働の上限規制(いわゆる「2024年問題」)は、物流や建設、医療業界だけでなく、あらゆる業種の労務管理に影響を与え続けています。法律を遵守しながら成果を上げるためには、時間当たりの生産性を高める以外に道はありません。
② 「ムダ」が常態化した業務プロセス
 多くの現場を拝見して感じるのは、「前任者からそう教わったから」「昔からの慣習だから」という理由で、非効率な業務がそのまま維持されているケースが非常に多いという点です。
 • 同じ内容を複数の書類やシステムに二重入力している
 • 形骸化した会議に多くの社員が時間を取られている
 • 承認ルートが複雑で、意思決定に時間がかかる
これらはすべて、従業員のモチベーションを削ぎ、貴重な労働時間を奪う原因となっています。
③ 心理的安全性とエンゲージメントの不足
 社労士として数々の労働トラブルや離職の現場に立ち会ってきた経験から断言できるのは、「生産性の低さは、職場の心理的安全性(発言や挑戦を拒絶されない環境)の低さと比例する」ということです。
 業務の改善点に気づいていても、「余計なことを言うなと言われる」「提案してもどうせ変わらない」と従業員が諦めている職場では、業務効率化は絶対に一歩も進みません。

では、事業主はどのような取り組みや環境整備を行うべきでしょうか。ここでは「業務プロセスの見直し(3M)」と「生成AIをはじめとするテクノロジーの導入」、そしてそれを支える「労務面の整備」という3つのステップで提案します。
対策①:業務効率化の基本「3M(ムダ・ムラ・ムリ)」の排除
 業務効率化を進める上で、まず全社で取り組みたいのが「3M」の視点を用いた業務の棚卸しです。

【業務効率化の3M(サンエム)】
 • ムダ(Muda):成果を生まない付加価値のない要素
 • ムラ(Mura):時期や人によって業務量や品質にバラつきがある状態
 • ムリ(Muri):能力や設備に対して過度な負荷(無理)がかかっている状態

社労士としての実務的なアドバイスは、「まず管理職や経営陣ではなく、現場の従業員主導で業務を洗い出す」ことです。
 具体的には、各自の業務を15分単位などで書き出す「業務インベントリ(棚卸し)」を実施します。その上で、以下のステップ(ECRSの原則)に沿って3Mを排除していきます。
1. Eliminate(排除)
 その業務は本当に必要か?(例:慣習的な報告書の廃止)
2. Combine(結合)
 複数の業務を一緒にできないか?(例:会議と進捗確認の一本化)
3. Rearrange(交換)
 順序や担当者を変えられないか?(例:スキルの高い人に業務が集中する「ムリ」の解消、マニュアル化による「ムラ」の解消)
4. Simplify(簡素化)
 もっとシンプルにできないか?(例:定型文のテンプレート化)
対策②:生成AI等のテクノロジー導入と「人間の役割」の再定義
 現在、生産性向上を爆発的に加速させるツールとして「生成AI(ChatGPT等)」や「RPA(定型業務の自動化)」の導入が進んでいます。
 契約書の初期チェック、議事録の自動作成、顧客からの問い合わせに対する一次回答の自動化など、これまで人間が時間をかけていた「作業」をAIに代替させることで、従業員はより付加価値の高い「考える業務」「人にしかできないクリエイティブな業務」に集中できるようになります。
 ここで重要なのは、「AIの導入によって浮いた時間をどう使うか」のグランドデザインを経営者が示すことです。単に「暇になったから別の作業を振る」だけでは、従業員はAI導入に非協力的になります。「より高度なコア業務にシフトし、売上を伸ばして賞与で還元する」といったビジョンが必要です。
対策③:AI導入・働き方改革に伴う「労務・就業規則」の整備
 テクノロジーの導入や業務プロセスの変更は、労働環境の変化を伴います。これらをスムーズに進めるためには、就業規則をはじめとする労務面での防衛策と環境整備が絶対に欠かせません。社労士の立場から、特に気をつけるべきポイントを3点挙げます。
1. AI利用規約・秘密保持(守秘義務)規定の策定
 生成AIに自社の機密情報や顧客の個人情報を入力してしまうと、データがAIの学習に利用され、外部に漏洩するリスク(情報漏洩リスク)があります。
 • 対策:就業規則の「服務規律」や「誠実義務」の項目に、生成AIの利用ルール(入力禁止データ、社内承認手続きなど)を明記します。また、個別に「AI利用に関する誓約書」を交わす、あるいは「情報セキュリティ規程」を新設・改定することが実務上必須です。
2. 成果型・柔軟な労働時間制度への移行(評価制度の改定)
 業務が効率化され、AIによって短時間で成果を出せるようになると、「会社に長くいる人が偉い」「残業代で稼ぐ」という古い評価基準は完全に崩壊します。早く仕事を終わらせた人が損をする仕組みでは、誰も生産性を上げようとは思いません。
 • 対策:「変形労働時間制」や「フレックスタイム制」を導入し、仕事が終わったら早く帰れる柔軟な環境を作ります。同時に、評価制度を「労働時間(プロセス)」から「時間あたりの成果・付加価値」へと段階的にシフトさせ、就業規則(賃金規程・評価規程)に落とし込む必要があります。
3. リスキリング(学び直し)に伴う教育訓練規程の整備
 業務内容が変化する(AIを使いこなす、コア業務へシフトする)ということは、従業員に新たなスキルを求めるということです。
 • 対策:従業員のリスキリングを促すため、教育訓練休暇制度や資格取得手当などの支援策を就業規則に盛り込みます。これは従業員のモチベーション向上につながるだけでなく、国の「人材開発支援助成金」などの公的助成金を活用する上でも重要な要件となります。

生産性向上への取り組みは企業に多大な恩恵をもたらしますが、同時に副作用(デメリットやリスク)も存在します。これらを正しく理解しておくことが、施策を成功させる鍵となります。

メリット(企業・従業員双方の視点)
視点 主なメリット 具体的な効果
企業側 利益率の向上とコスト削減  業務効率化により、同じ売上を少ない原価(残業代、外注費等)で達成できるため、利益率が直結して向上します。
人材不足の解消と採用力の強化  「残業が少なく、最新ツールを活用してスマートに働ける会社」というブランディングができ、求職者への強いアピール(採用力の向上)になります。
 リスクマネジメント
(労務コンプライアンス)
 長時間労働が是正されることで、従業員のメンタルヘルス不調や、過労死・未払い残業代請求といった重大な労務リスクを未然に防ぐことができます。
 従業員側  ワーク・ライフ・バランスの充実  労働時間が短縮されることで、家族との時間や趣味、自己投資(リスキリング)の時間を確保できるようになり、生活の質が向上します。
市場価値の向上
(スキルのアップデート)
 AIの活用方法や、より高度な付加価値業務を経験することで、ビジネスパーソンとしての能力が磨かれ、仕事へのやりがい(エンゲージメント)が高まります。
デメリット・導入時のリスクと対応策

一方、性急な変革や配慮を欠いた進め方をすると、以下のようなデメリットや反発が生じます。
① 従業員の「残業代減少」によるモチベーション低下
 効率化によって残業が減ることは会社にとっては良いことですが、従業員にとっては「手取り給与の減少」を意味する場合があります。生活設計が狂うことへの不安から、わざとダラダラ働いて残業代を稼ごうとする「生活残業」のインセンティブが働いてしまうことがあります。
 • 社労士からの提案:浮いた残業代(労務費)は、そのまま会社の利益にするのではなく、「生産性向上手当」や「業績連動賞与」として従業員に還元する仕組みを構築してください。「早く仕事を終わらせて会社に貢献すれば、自分の給料も増える」というインセンティブ(報奨)設計が、就業規則(賃金規程)の改定において極めて重要です。
② 社内の「デジタル格差(ITリテラシーの差)」による孤立
 AIや新しいITシステムを導入する際、すべての従業員がすぐに使いこなせるわけではありません。若手社員はスムーズに適応できても、ベテラン社員が操作についていけず、現場で不満や孤立感が生まれるリスクがあります。これが原因で職場の雰囲気が悪化し、離職につながるケースもあります。
 • 社労士からの提案:ツールの導入初期には、丁寧な社内研修(リスキリング環境の提供)をセットで行う必要があります。「使えない人を切り捨てる」のではなく、「全員の業務を楽にするためのツールである」という丁寧な説明と、質問しやすいサポート体制(ペアワークの実施など)を社内に整備してください。
③ 業務の「過度な標準化」による硬直化
 3Mの排除やマニュアル化を徹底しすぎると、従業員が「マニュアルに書いてあることしかやらない」という指示待ち人間になってしまうリスクがあります。また、例外的な顧客対応や、イノベーションの種となる「一見無駄に見える遊び(余白)」まで削ぎ落としてしまう危険性もあります。
 • 社労士からの提案:標準化(マニュアル化)すべきは「定型的な作業」に限定し、顧客との関係構築や新しいアイデアの創出といった「非定型な業務」については、従業員の裁量を広く認めるグラデーションのある運用を意識してください。

社会保険労務士として企業をご支援してきた経験から申し上げます。生産性向上とは、単なる「コストカットの道具」ではありません。それは、「従業員の幸せ(ウェルビーイング)と、企業の持続可能な成長を両立させるための経営戦略」そのものです。
 業務の「3M」を排除し、生成AIという強力な武器をインフラとして取り入れ、それを担保する「就業規則」や「評価・賃金制度」という法的な土台を整えること。この一連のプロセスを経営者が強いリーダーシップと、現場への深い共感(エンゲージメントの重視)を持って推進していくことが、これからの時代を生き抜く企業の絶対条件となります。
 取り組みを始めるにあたって、最初から完璧を目指す必要はありません。まずは「毎週水曜日の形骸化した会議をなくしてみる」「1つの部署でAIを使った議事録作成を試してみる」といった小さな成功体験(スモールウィン)を積み重ねていくことが、組織のカルチャーを変える第一歩です。
 結びに、制度の改定や助成金の活用、労務リスクの回避など、専門的な知識が必要な局面では、ぜひ私たち社会保険労務士のような専門家をパートナーとしてご活用ください。本コラムが、貴社の次なる成長への一助となれば幸いです。

令和8年6月 寄稿