美容師になろうと思ったのはいつごろですか?また、そのきっかけを教えてください。
元々、祖母と母が長井市で、美容室をやっていまして、その影響もあって、ずっと美容師になるんだろうなと思っていました。高校生のときに、大学に行くか、専門学校に行って美容師になるかとなったときに、父から、「美容師は機械にできない仕事だから、一生できる仕事だよ。」と言われて、やっぱり美容師だなと思いました。美容師はずっと小さいころからやりたかったですし、きっかけも親がやっているからとなりますね。
大阪の専門学校に進まれたそうですが、なぜ大阪だったんですか?
美容師になろうと思ったときに、県外に出た方がいろんなことを学べると思っていたし、大阪で美容師をして、山形に戻ってきた経験を持つ母からも県外に出た方がよいという助言もあって県外の専門学校に行くことにしました。最初東京に行こうと思ったんですけど、東京の美容学校を見に行ったときに、本当に直感なんですが、ここはちょっと違うなと思いました。大阪の美容学校を見に行って、自分の中で直感でここが合ってそうだなと思い大阪の美容学校にしました。あと、東京だとちょっと辛いことがあったときに、すぐに帰って来れちゃうので(笑)。大阪だと距離的に帰ってきにくいこともあって、覚悟を決めるつもりで大阪にしました。
大阪に行って何年後かに山形に戻ろうかなといったイメージはありましたか?
高校卒業して大阪に行きましたが、いつか山形に帰ってきたいなとは思っていました。それがいつかは決めてなかったのですが、一生大阪で過ごすことはないだろうなとは思っていました。実家に店があったことも大きかったと思います。ゆくゆくは自分が継がなければいけないかなという思いはありました。
大阪の美容業界は山形と違いましたか?
私が大阪にいた最初のころはインスタグラムなどのSNSがまだそんなに影響力が少なかったのですが、それでもいろいろな情報が入ってくるのが早いですね。しかも東京じゃなくて大阪でよかったと思っています。大阪の人っていろんな人がいて、流行にも敏感だけど、流行りに流され過ぎず自分を持ってるというか。そういう人達がいっぱいいるので、その人たちに合わせた提案をすることで勉強になりました。
他にも東京と違うなと思ったのは、大阪は人がメインというか、人と人との繋がりを大事にするところがあって、そこが東北の人と似ているのかなとすごく思いました。寮を出て引っ越したばかりで、食器などもなかったときに、たまたまそのことをお客さんに話したら、「うちにある食器あげる」って言って段ボールで食器をもらったりしましたし、差し入れの数もすごかったです。それは自分が働いてきた店の先輩方がお客さんに好かれていたから、そういうお客さんがたくさん来ていたんだなと思います。
大阪で美容師を経験して、山形に戻ってきて、こうやったら山形の美容業界がもっとよくなると思うようなことありますか?
SNSの発信の仕方とか、もうちょっと、こう見せたらおしゃれに見えるんじゃないかなと思うときはあります。そんなにすごい違いがあるわけではないんですけど、大阪では、いい情報発信をしている人や「この人のこの載せ方おしゃれだよね。」とか「この見せ方ダサいよね。」といった話をできる人が周りにいっぱいいましたし、流行りに敏感な人がどこにでもいて、「次、これ絶対かわいいと思う。」と言う人がいると「そうだよね。」といった会話をすることでいろいろと気付くこともできたので、山形でも、そういったことを話す機会があれば、発信力は上がると思います。
あと、私は、初めてのお客さんに、「お仕事なんですか。」と「今日、お休みですか。」とは絶対に聞かないことにしています。これは以前の働いていたお店で、言いたくない方もいらっしゃるかもしれないとからと教わったからです。こちらに来てから、山形市のある美容室に行ったんですけど、それをアシスタントの方に一番最初に聞かれたことがあります。何が正解とか間違ってるというわけではないですが、お客さんの心に響く美容師って、仕事としての美容師ではなく、人としての美容師であることが大事だと思っています。それが大阪は地域がら特化していたので、そこが違うかもしれません。人との接し方などはお店でも美容学校でも教えてもらいました。
今、山形でどういうふうに情報収集されていますか?
SNSを基本に、美容情報誌と、技術に関してはオンラインセミナーに参加したりしています。先輩や同期もそれぞれの分野に特化している人が多いので、ZOOMで直接教えてもらっています。コロナになってからは特にオンラインセミナーが主流になっていますね。
実際に大阪という街について、どういったところがよかったですか?
先ほど、大阪の方々の人のよさについてお話しましたけど、あとはおしゃれですね。
また、おしゃれなところ、下町感のあるところなど、いろんな場所があって、飲みに行くのでも、今日はおしゃれなところに行くからこの場所、今日はおいしくて安い店行きたいからこの辺に行こうとか、いろいろ選べるところですね。もし、ずっと大阪にいるとしたら、ライフスタイルに合わせてここに住みたいといったこともできるでしょうし。
帰ってきて、山形はどうですか? 高校を卒業したときの山形と違いますか?
山形は、すごく住みやすくて素敵な場所だと思います。私の学生の頃よりもどんどんおしゃれになってました。お客さんもおしゃれな人が多いし、美意識の高い人も多いです。山形の人って、山形は田舎だからって思うじゃないですか。だから、より流行に敏感だし、「これ、流行ってるんですか?」とか「私に何が似合ってますか?」って聞かれることも多いです。これは自分を持っていないということではなくて、アドバイスを取り入れたいというか。すごい素敵な人たちが多いですよ。
高校生のときは部活しかしてなかったし、当時は南ジャスコ、南ジャスに行くしかない感じでしたけど、今はいろんなお店もあるし、山形と大阪は違いますけど、山形いいじゃん!って感じです。もう一度大阪に戻って住みたいという気持ちは全然ないです。山形は安心感がありますね。
地元の長井市ではなく、山形市にお店を出された理由はなんですか?
お店を出すなら、山形市だろうというのもあったし、この場所がぱっと見つかったんで、ここだな、と。
山形で美容室を開店するにあたって苦労したことはありますか?
SNSやホットペッパーなどの媒体を使ってがんばって宣伝しました。あとはお金を借りるのはたいへんでした。どのくらい集客できるかが見込めなかったので、「なにで集客するんですか?」となったときに、SNSは不安定なものなので、そのあたりを説明するのがたいへんでした。
大阪のお店から鳥取で独立した先輩がいて、鳥取も山形も似た感じかなと思って、その先輩にアドバイスをいただきましたし、今でもいろいろと教えていただいています。
後輩の人材育成も考えていらっしゃいますよね?
前の店で、美容師として一生ごはんを食べていける技術を教えてもらって、本当に感謝してて。せっかく美容師になるなら、美容師で一生ごはん食べてもらいたいと思っています。そのためには技術はすごく大事なので、私が教わったことを伝えて、一生美容師でごはんを食べていけて、なおかつ人よりちょっといい生活ができる、好きなものを買って、好きなものを食べて、旅行行ってとか、そういう生活ができるような後輩を育てて私のお店で働くのが生活の充実につながったり、あそこで働きたいと思ってもらいたいです。
最後に、嶋貫さんが山形でやりたいと思っていることを教えてください。
この店を人気店にもしたいですけど、何より愛されるお店にしていきたいです。この店は「街の風景になる」というコンセプトでやってまして、この店自体もですが、この店を出るお客さんも山形の街の風景になるようにしていきたいです。山形の街をそういったお客さんで増やしていきたいし、この店もそういう店にしたいですね。
また、働く人たちの「都会に出なきゃいけない。」というのを無くしたいですね。「山形を出ないとダメなんでしょ。」みたいな意識がどこかにあると思うんですけど、みんな、出ていかなくても、おしゃれだったり、流行に敏感だったり。美容師を目指す人に働きたいと思ってもらえるお店とか環境を作っていきたいです。それこそ、女性が結婚して出産しても働いていけるお店を作りたいですね。
取材:令和4年1月