職場ではチーフという立場なので、全体の指示・指導はもちろんですが、カット、シェービング、シャンプー、ブロー、カラー、パーマ、エステ、リンパマッサージ、フェイシャルマッサージなどお客様に対しての仕事は全て私もやります。最近流行の女性のお顔剃りもしています。
また、月に一回ぐらい、お客様のご自宅や施設、病院に行って「訪問調髪」を行う出張理容もしています。
スタッフには普段から、週に一回は必ず基本的な技術であるカットのトレーニングをさせています。大会などに出場するときは、毎日練習することもあります。
また、外部の講師にお店に来てもらって専門知識の講習会を月一回くらいやってます。こちらから色んな講習会に出向いて勉強することもあります。
私が全国理容生活衛生同業組合連合会中央講師をしている関係で色んな情報が入ってきます。全国の6割の床屋が加盟していて組合員は7万人います。その中に、各県の講師、東北の講師、全国の講師(中央講師)がいます。特に中央講師は134人いるのですが、世界チャンピオンが10人ほど、全国チャンピオンは半数以上という集団でして、そういう人たちと年に5回ぐらい会いますから、新しい情報が入ってきます。
7時過ぎに起きて、住み込みのスタッフ3人と家の周りやお店の掃除、準備をして、8時頃朝食を取って、8時半から営業スタートです。お店の受付が19時までですが、途中上手く休憩を取りながら営業しています。営業時間が終わったら、大体週の半分はスタッフに練習をするよう指導しています。夕食をとって21時から23時くらいまででしょうか。お客様がいなければ日中も私の顔を使ってシェービングの練習をさせたり、マネキンでパーマの練習をさせたり、時間を有効に使っています。
父は、仕事について良いも悪いも言いませんでしたが、祖父には、子どものころから「床屋になりなさい」と言われていました。
ちょうど私が中学・高校生の時、8人ぐらいいたお店の従業員さんが同年代で触れ合うことも多く、すごくお世話になりましたし、同世代の従業員さん達が一生懸命仕事をやっている姿が刺激になりました。それが、理容師を目指す大きなきっかけになったと思います。その頃は、業界に対して特別魅力は感じていませんでしたが、いい印象は持っていました。
高校在学中に通信教育で理容学校を卒業しました。理容・美容師とも今は3年間の過程ですが、かつては2年間だったので、高校と同時期に入学して卒業する方法があったんです。高校卒業と同時に、東京の文京区にある当時の全国チャンピオンがオーナーをしている理容室にインターンに行きました。その理容室は、お店の従業員の知り合いでした。
そこで6年間お世話になりました。最初の1年間は、理容師免許が取得できる国家試験の受験資格を得るためにインターンをします。そして、国家試験に合格して理容師になってからは5年間勤めました。あの頃は、国家試験合格後に、インターンでお世話になったお店に6年ぐらい勤めるのが普通でした。免許を取っただけでは仕事は出来ませんし、お客さんを満足させられないので。
私は、大江町が好きですし、実家はいい店だと思っていたので、いつかは絶対戻るつもりでした。
当時は、大会があったら出るのが普通だったので、間隔を置かずにたくさん出場しました。6年目のときは年に7回大会に出場しました。出ることによってもちろん技術も磨かれますが、人間としての成長が一番大きかったです。
自分が初めて全国優勝したのが、東京へ行って3年目の4月だったんですが、そのあと雑誌の撮影の依頼が舞い込み、オーナーの前で偉そうな言動をするなど調子に乗ってしまいました。そのためその後はオーナーから長くなった鼻をへし折られるばかりでした。でも、鼻をへし折られる機会は貴重ですし、そういう愛情たっぷりの指導の中で勉強していくと、将来お客様を喜ばせる引き出しが増えていきます。
優勝していればオーナーになった時に従業員の獲得に有利ですね。ただ注意しなければいけないのは、大会で優勝したからと言ってお客様は来ないんですよ。技術と並んで大事なことは、何と言っても人間的に「いいヤツ」であることです。
大会に出るにはカットモデル探しから始まり、次にカットモデルのモデル代、衣装代などは全額個人負担なので借金して確保します。お店の仕事はもちろんこなしながら、合間を縫って大会の練習をします。大会は年に何回もあるので、短期間に何度もこれら全てをやるわけですが、そうすると、人間としての魅力が出てきて、技術だけでなく「ひと」にもお客様がついてきてくれます。
技術と人間としての成長、両方の面から私もスタッフを育成するよう心がけています。
お客様に直接触る触り方の技術について入店後すぐにしっかり教えます。触感技術と言うのですが、シャンプー、お顔剃り、マッサージ、耳掃除、そういう部分をきちっと教えないとカットが上手でもお客様は離れます。やればやるだけ、感覚が研ぎ澄まされてきますから、入店して半年は毎日やらせています。
私も、自分のシャンプーがお客様に「気持ちいい」と褒められた時は嬉しいです。褒められて、ちゃんと出来ている事を自分で確認して、そうやってまた上達するようになります。お客さまの心理もわかり、色んな気遣いが出来るようになります。それが触感技術の奥の深さです。それは、いつまでも忘れちゃいけないし、いつまでも成長しなければならないので触感技術は理容の土台ですね。
カットは入店後すぐ教えます。ただし、シャンプー、ブロー、ワンディング(パーマのロッドを巻くこと)、カラーなど、髪の流れを理解しカットの基礎となることも同時進行で教えていきます。刈上げ、七三分けであれば、入店から半年経つと一人で出来るようになります。デザインが入ったり、パーマをかけたりする髪形は2年目から習得していきます。
学校から紹介があった順に決定していきます。面接するときも、採用を前提に面接しますから、本当に不器用で手のかかるようなひとが来ても採用します。私は、人を育てるのが好きなので、私のお店はどんな子が来ても、採用しなかったことはありません。今は、6人のスタッフがいてそのうち3人は住み込みで、県外から来ているひともいます。
スタッフがお店を卒業するのが大体5、6年なので、住み込みも5、6年のひとが多くなっています。かつてはスタッフ全員が住み込みで、一番多いときで11人もいました。しかし最近は、通いか住み込みか、住み込みの時期はいつまでかなどは、本人の希望をもとに話し合いをして決めています。今、県外から来て住み込みをしている2人は、福島と多賀城から来ています。
実家の理容店の後継ぎとして戻る子もいますし、独立する子もいます。ただ、最近は経済的な問題もあって独立しづらくなっています。中には、お店を出して上手くいって、土地建物を買って結婚した子もいます。こういう話を聞くと指導者としては最高にうれしく感じますね。
一方的に意見を押し付けたりはせず、なるべく多くの選択肢を出して考えさせます。そのため、私が薦めたことに従わないことも、考えたうえで上手に理由を作って断るのであれば認めています。そういう処世術を身につけることも大切だと考えています。
また、ひとりではなくみんなで考えさせるようにして、みんなで話す機会を多くもつようにしています。理容店はスタッフの一体感がないとやっていけないので、仮に衝突が起きても、話し合える環境を確保することが重要です。「話せばわかる」を前提にコミュニケーションを多くとることを心がけています。
私は、スタッフにとって都合のいいオーナーでありたいですね。チーフ(松田さん)なら理解してくれる、居場所を作ってくれる、一緒に考えてくれると思ってもらいたいです。そうすると私が「こうしたい」という時、我慢してくれるんですよ。使いやすいオーナーというか、言いやすいオーナーを目指しています。
つらい思いをしたくないからです。残念なことに、最近志半ばでお店を辞めて行った子が続いて、私自身もつらい思いをしています。今までも、私の言うことを聞かないで問題を起こすスタッフもいましたが、クビにしたことは一度もありません。うちは辞めさせない。どんなスタッフでも立派に育てたいんです。
私は修行時代から、出来るようになったものを後輩に教えていました。「自分が教えたい」という気持ちが強いためだと思います。理容師でなかったら教師になりたいと思っていました。「人を育てる」という気持ちに責任を持てるようになることが本当の意味での指導だと思いますが、まだなってないですね。
スタッフの指導については、昭和63年に私がこのお店に帰って来てすぐ、毎週の練習会という形で始めていますから、今年で25年になりますね。
昔のスタッフはリアクションが大きくて、自己主張もしっかりしてましたね。その分衝突も多かったですが、とにかく元気がありました。
今の子は自己主張が苦手だと感じます。技術を覚えようとする能力、例えば習ったことを整理するとか練習を積むということが、すごく苦手みたいですね。かつては、やれと言われたら一心不乱にやって身に付けていましたが、今の子は、自分から何かしようとか学ぼうとかするモチベーションはあまり高くないようです。ハートが乾いてきているというのでしょうか、熱くならない感じがしますね。
スタッフの変化に伴って、教え方も、ゲームをするなど、あの手この手で変えています。習いやすい工夫を色々しています。
技能五輪ではマネキンを使うことが、他の大会との大きな違いです。モデルを使う大会であれば、当日の朝まで準備ができます。だから事前に最大限の準備をすれば有利ですが、技能五輪は新品のマネキンを使用するので事前の準備が一切出来ません。全くゼロからのスタートで、2時間半掛けてカット、カラー、ブローをする。これを2日間掛けて4回やるという過酷な競技です。
不正がない、ズルが出来ない。そういう点で、技能五輪は意味のある大会ですし、みんな真剣なので見ていて感動します。
しかし、出場者にやる気がないといくら教えても上達はしないので、出場や練習については無理強いはせず、本人の意思を尊重します。
その子なりに大会に向き合わせて勉強してもらおうという考えです。
大会では、課題が決まっているものと、自分でデザインするものがあり、それらについて6ヶ月ぐらい練習しました。最後の1ヶ月は、ほぼ毎日、19時ぐらいに営業が終わってご飯を食べたりして、21時-24時、25時ぐらいまで練習していました。
練習は、チーフ(松田さん)や先輩に教えてもらいながらやりました。先輩たちは技能五輪に出ていて、賞をとったりしているので参考になります。
厳しいですね。私はあまり自分から話をしない方なので、そのせいで上手く連携が取れない時は、より厳しくなると思います。ちゃんと話せば的確に、わかりやく教えてくれます。
大会に出させていただいたことをありがたく思っています。山形は全国でも屈指の優秀な指導者が多く存在している県で、その人たちからも指導を受けました。
敢闘賞を頂けたのは嬉しいのですが、先生方の指導を十分に表現しきれなかったのが残念だと感じています。
これからも大会などで表現できる場面があるので、そのときは十分に力を発揮したいと思っています。先生方や関ってくれた人達には感謝の気持ちでいっぱいです。
大会の課題にあるセットやカットは実際の業務に直結するので、大会を目指すのは良い事だと思いますね。やはり大会へ向けての練習等も充実して楽しいですし、技術も早く上手くなるので勧めます。
今スタッフは6人ですが、もう一度10人ぐらいのスタッフと一緒に楽しい営業、毎日を過ごせるようなお店作りがしたいというのが中期目標です。
他には、スタッフと一緒に2ヶ月に1回、私の奢りでお酒を飲めるようになることでしょうか。お客様の経営している美味しい店がいっぱいあるので、スタッフと一緒にガッと飲んで寝る。そういうお店づくりが、スタッフの技術と人間力のアップや、お店の営業改善に自然とつながっていくと思います。