普段のお仕事や大会のことから、畳業界のことまで、貴重なお話をお聞きすることができました。
畳は、ぶ厚い「芯材」に、イグサを編んでできた「畳表」(ござのような薄いもの)を被せてできています。仕事内容は、芯材に、編まれたイグサを貼り付けて新しい畳を作ったり、元からある畳を預かりに行って畳表の張替えを行い、出来た畳を元の場所に敷きこむことです。
畳以外の仕事としては、和室に関連して、襖や障子の張替えや網戸の修繕もしています。また、以前畳を納めたお客様のところにハガキやDMを出すなどして、地道な営業活動も行っています。
細かいところは手で縫いますが、今は、ほとんどの工程を機械で行っています。畳1枚を仕上げるのに、機械でも、40-45分くらいかかるでしょうか。1人で1日1部屋分の畳8-12枚くらい作ることができ、2人であれば、倍の16-20枚くらい作ることも可能です。
普段は、父と2人で分担して、各工程ごとに数枚まとめて作業しています。
一般の家だと朝8時くらいに畳を預かりに行って、お店で張替えを行い、夕方4時くらいまでには畳の敷きこみを終えるという流れです。1部屋であれば1日で仕上げます。1日の平均注文枚数は10枚ちょっとで、ひと月で平均300-400枚になります。
お盆前と年末前が繁忙期で、1月・2月は閑散期ですね。閑散期には、今までの畳の整理や、夏の準備、DMやサンプル作りをします。また、冬は全国的にどこの畳屋さんも暇な時期で講習会が多いので、参加して勉強しています。
一軒家のお客様はもちろんですが、工務店、アパート、最近は若い人がいない他の畳屋さんから仕事を頼まれる事も多いです。年をとると畳を2階に上げるのも大変なんですよ。どこの畳屋さんも若い人がいないので。体力的に畳が持てなくなると畳屋さんは出来なくなります。
畳1枚につき、芯材の素材が藁だと30キロ、ボードだと20キロぐらいです。藁の方は、藁をかなり圧縮しているので重くなります。ボードの方は、素材が、木材をチップにして砕いて平らに固めたもので硬い発泡スチロール断熱材を挟んでいるので軽くなっています。
ボードの畳であれば、高齢の同業者の方も持てますし、コツさえ掴めば女性でも持てます。
畳表のイグサは、熊本や中国で編まれたものを問屋さん経由で購入しています。畳表の8割は中国産で、あと2割が熊本、福岡、高知などの国産のイグサです。畳表に使うイグサには長さが必要で、温暖な土地でよく伸びるので、国内では熊本が一番の産地になっています。
芯材は、素材が藁のものは宮城でつくられたものを購入しています。
古い畳だと張り替える時に、埃がたまっていて埃が舞ったり、畳の裏に小さい虫がいたり、カビが生えていたり。中には、床が抜けていて、床が畳でもっているところも結構あります。そういうときは、大変というか少しドキッとしてしまいます。床が抜けているときなどは、床の直しも頼まれるので、繋がりのある大工さんに頼みます。でも、そういうお部屋が綺麗になったときは、とてもいい気持ちになります。
そうですね、綺麗になったとお客様に喜んでもらえる事が一番のやりがいです。新しい畳を納め「いい香りがする」と言われるのも嬉しいことです。
畳は、1回現場に行って寸法を測ってから、その部屋に合わせて作ります。部屋自体が斜めだったり微妙に曲がっていたりする場合があって、そんなとき、畳を削り、斜めにカットしてピタッと隙間なく敷き詰めたときは、達成感があり、やりがいを感じます。
技術的にちゃんとしたものを作るという事と怪我をしないようにする事です。集中力を維持するために体力も必要です。畳を切るために特殊な包丁を使うのですが、気を抜くと手を切ったりする事もあり危険です。
他には、お客様相手の商売なので、お客様との接し方、コミュニケーションにも気をつけています。気に入ってもらえれば、何年後かにまた来てもらえますから。
畳屋清兵衛は、父の代にはじまり今年で34年目です。そもそもは、祖母が藁を農家から買って芯材を作り始めたのが最初で、その後父が張り替え方を覚えてきて、畳屋を始めました。
この畳に囲まれた環境と、子どもの頃からずっと父の仕事ぶりを見てきたこともあり、物心ついた頃から長男の私が継ぐものだと自然と思っていました。2人いる弟は違う道へ進みましたが、私は別の道に進みたいと思ったことはなかったですね。
高校を卒業して、埼玉にある畳の職業訓練校で3年間学びました。1年生の時は半年間は学校で座学や実技、残りの半年は学校に協力いただいている10何軒かの畳屋さんに1ヶ月ぐらいずつ順番に行って勉強します。2、3年生になると、それぞれ違う畳屋さんに1年間住み込みます。
畳屋さんによって、お客様への対応、畳の種類や作り方などに違いがあります。色んな畳屋さんに入って、様々な方法を勉強して、その中から自分に一番合うやり方を見つけることができました。本当に実り多い3年間でした。
学校に10人くらいいた同級生も、みんな実家を継ぐために勉強に来ていて、畳に関する色んな話をしました。地元だと、同業者で同じ年代の人が周りにいないので貴重な時間でした。
学校では、技術的にはもちろんですが、精神的に鍛えられました。校長先生が厳しくて、入学時は全員坊主で、一年生の時は日曜日以外外出禁止でした。就寝時間も22時と決められていました。
この仕事は、会社と違って上司も先輩もいない。誰も叱ったり指導したりしてくれないので、自分で厳しく律していかないとダメなんです。一人でもやっていける精神を鍛えるうえでも、学校での3年間の経験というのは大きかったです。学校での経験があって、今頑張れていると思っています。
そうですね。帰ってきてすぐでも畳を作ることは出来ましたが、現場での対応の仕方だとか、経験が物を言う世界なんです。注文から畳作り、敷きこみまで一通り一人で出来るようになるには、7-8年ぐらいはかかりました。
以前、技能グランプリとは違う大会で東北大会に出ていたこともあり、山形県の組合から声をかけて頂きました。2回目は、出場する半年前ぐらいに、前回の大会にも出場して3位だったので、もう1度挑戦してみようと出場を決めました。
出場が決まり課題がわかってからは、仕事の後に時間を作って練習し、特に閑散期は集中的に練習しました。
1級技能士の資格をもつひとが「技能グランプリ」に参加できます。自分の技術レベルを知りたいという気持ちから、出場を考えるひとは多いのではないでしょうか。また、出場が決まると練習もするので技術が磨かれますし、外の目から見て評価される事は自信に繋がります。
実際、大会の後地元では、会う人会う人に「2位獲ったんだって?」と声を掛けられるようになり、良い宣伝にもなってます。みなさんの反応を受けて、「ちゃんとした仕事をしなきゃいけない」と気も引き締まりました。
へり付き板入れ畳の製作および敷き込み作業と、床の間畳(ござ)の製作および取り付け作業の2項目でした。まず、畳は全て手縫いで仕上げなければなりません。手で縫うと畳1枚出来上がるまでトータル4時間ぐらいかかります。床の間用の紋が付いているゴザを縫う作業は1-2時間かかります。この課題2つを5時間以内でこなさなければなりません。時間内に出来なければ失格となります。
時間が短いところですね。間に合わない人も結構いて、体力と集中力が必要とされます。会場もピリピリした雰囲気で緊張しているので普段通りにはいかず、針に糸がなかなか通らないこともあります。
包丁で畳を切り落とす作業は失敗が許されない一発勝負ですし、材料の芯材も製作した業者さんによっては、針が刺し難い場合もあり、緊張しました。さらに今回は、「順位を落とせない」というプレッシャーがありました。
とにかく、出場者みんなが上手いということに驚きました。畳製作部門は、26名出場者がいて3列に並んで競技するんですが、私の前後左右の人を「上手いな」と思って見ていたら、結果、1-3位だったんです。偶然そういう並びだったのですが、競技中は「自分はもうダメだ」と思っていました。なので、2位という結果は意外でした。
ただ、1位-3位までは僅差ですし、自分のレベルも上がってきているので、チャンスがあれば、また頑張って出場したいと思っています。
大会が終われば畳屋さん同士で、「ここはこうしたらいいんだよ」とアドバイスをもらうなど情報交換をしています。外の同業者との交流を通して、自分のやり方は間違っていなかったと確認できることは大会ならではのことです。
畳の仕事は個人でやっているので、意識して外に目を向けない限り、どうしても自分の世界にこもりがちになります。外を見て、良い事を吸収していけるかどうかも自分次第なんだと感じました。
畳の仕事は、業界としては、10年前と比べると畳の枚数的には減ってきているんじゃないでしょうか。新築の家でフローリングだけで、全く畳を入れないという家があります。
畳屋さんの数も、組合員も年々減ってきています。畳業界は、新しく畳屋を始める人もいないし、畳職人も実家が畳屋のひとばかり。そのため後継者も不足していて、私と同じ30代もほとんどいないので、「高齢の畳屋さんの手伝い」は増えています。
7-8年前に谷地の方で女性が1人勤めていました。今は、茨城と青森の訓練校には1人ずついるようです。重労働というイメージから、みんな「男の仕事」と思っているので女性は珍しがられます。でも、父の年代の畳屋さんでは奥さんが手伝うことが多かったんですよ。私の母も手伝っていました。
尾花沢には6軒あり、畳屋の軒数は多い方です。隣の大石田は1軒、舟形が0軒か1軒、新庄が3、4軒。東根で3軒、天童も3、4軒ですから。
当然、尾花沢だけではやっていけず、工務店さんとの関係もあり、新庄と山形での仕事が多くなっています。また、尾花沢はちょうど県の真ん中に位置するので、注文があれば庄内や米沢に行くこともあり、県内全域で仕事をしています。
尾花沢の組合の方とは頻繁に交流しています。震災の時も、仮設住宅の畳入れに尾花沢組合で行きました。尾花沢の人たちは仲がいいですよ。納期が重なって一気に枚数が増えてしまう時など忙しい時は頼んだり、頼まれたり。仕事を融通して助け合っています。
地域によっては、まるっきり個人でやっているとか、知り合いの畳屋さん同士で組んでやっているとか、あまり交流のないところもあるようです。
最近は薄い畳が増えています。薄い畳はフローリングの床板の厚みと一緒なのですが、普通の畳だと、わざわざ畳の厚みに合わせて床を深く作らなきゃいけないので、コスト的な問題もあるようです。また最近は、床暖房も多く、薄い方が熱が伝わりやすいということで薄い畳の需要が増えています。
ただ、薄い畳は表を張ると反ってしまい、腰がある良い表が付けられないので、本当は厚みのある畳の方がいいんですよ。用途に応じて、そういう事も伝えていきたいですね。
畳の縁が光る“LED畳”を作り、特許をとりました。他店では畳の表の全面が光る畳がありますが、縁が光るのは全国でうちの商品だけです。見ても楽しめるデザイン面だけでなく、夜光ることで場所の確認ができるという安全面の利点もあります。実際、興味を持たれた方からの問合せも増えていて、今年初めて一般の家に納めました。けっこう話題になり様々なところで取り上げてもらっています。
父の知り合いで、LEDの照明を作っている会社の方から話があって、お酒の席だったこともあり、面白いんじゃないかと、どんどん話が進みました。畳に関心をもってもらい、多くの人に畳を使ってもらえるようにしたいという思いもあったので作ることになりました。伝統の方法を極めて守る一方で、新しいことにチャレンジしていくこともこれからは必要だと感じています。
目標は、続けていくことですね。そのためには、やはり良い物を作らなければと思います。今は、仕事も少なくなっているし、続けていくのが大変で、畳業界としては厳しい時代です。でも、日本から畳が無くなる、需要がなくなる事はなく、どこかは続けていかなければなりません。頑張って残れるように、良い物を作って認めてもらえるようになりたいですね。そして、多くの方に畳を使ってもらいたいです。