鈴木常助家具店という家具屋さんで2年近く働いた後に、弟子を欲しがっていた渡辺建具製作所の方から声が掛かり、建具職人の道へ進みました。そこには、結婚して昭和38年の1月1日に独立するまでの約9年10ヶ月お世話になりました。初めの4年間は見習いで、後の5年弱を職人として働きました。
組子は建具の弟子時代に、ほんの少しだけしか習わなかったのですが、とても興味を持っていました。弟子時代は組子の少ない普通の建具を作っていましたが、独立したのをきっかけに少しずつ自分で勉強して技術を磨きました。
【衝立(ついたて)】
鈴木さんが手がけた中で、一番好きな作品であり、力作とのことです。
私の場合は独学です。基礎程度しか習わなかったので、独立した当初は障子などにポイントで1つぐらい組子を入れる程度でしたが、試行錯誤することで段々と様々な組子を覚えていき、少しずつ難しいデザインに挑戦しました。
その頃、山形県の展示会に出展しようと決意し、展示会の1年ぐらい前から構想を練って、組子細工を施した建具を作りました。
昔は一般建具を作っていましたが、最近では社寺仏閣の建具を専門に作っています。もちろん今でも、社寺仏閣の仕事の合間には衝立(ついたて)などの一般建具も作ります。
最近は朝8時半ごろから夜は7時ぐらいまで仕事をしていますが、夢中になると時間が分からなくなって9時になることもあります。時間は関係なく、起きていれば一日中仕事をしています。作っている時は「退屈だ。早く止めよう。」などと思うことなく、どういう風なものが出来上がるか考えて、楽しみながら仕事をしています。
2人いる娘のうちの1人がお寺に嫁いだ際に、花嫁箪笥の代わりとして贈った組子細工を施した建具が、法事などで全国から集まった方々から評判になったそうです。
たまたま、そこのご住職と親しくされていた福島県南相馬市の太田山岩屋禅寺のご住職もご覧になり、他の組子細工の建具の写真を送って欲しいというので、PRも兼ねて写真など色々送りました。しばらくして、ご住職が山形に用事があって来られた時に、私の家に訪ねて来られ、私の母の法事の引き物として作った組子のお盆を見て、「そんなに素晴らしい品物を引き物にされるんですか」と大変気に入ってくださいました。そのときちょうど本堂を新築されているところで、建具の依頼を受けたのがきっかけです。それから色々なお寺の依頼をいただくようになりました。
平成7年です。ご住職は、のちのち文化財に指定されるような凝った社寺を作りたいとの考えで、あちこちから職人を集めていました。図面も一流の先生が描いたもので、本当に素晴らしいものでした。その仕事では、仕上がりを大変気に入っていただき、感謝状をいただきました。
社寺仏閣の場合は、特殊な材料を使用します。材料は支給された分しかないので、失敗は絶対に許されません。作業場で建具を作って現場に持って行き建て付けをするのですが、実際そこにしっかり入るかどうか、収まるまでが心配です。
最初は簡単なものから作り、徐々に複雑なデザインのものを作れるようになりました。特別にデザインの勉強をした事はありませんが、やっていく過程で自然に思いついたというか、「こういう風に組んでいくと、周りも引き立つかな」と考えて、色々工夫し多くの枚数を作るうちに思いついたデザインばかりです。私は、誰かの作品を参考にしたことはなく、頭の中に思い描くデザインを、そのとおりに組み立てています。
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設計図は描きません。寸法が普通住宅のように決まっているものであれば、デザインもある程度想像がつきますが、衝立(ついたて)ですと大きさも様々なので、「こういうものを作ろうかな」という大まかなものがあるだけで、あくまでも頭の中のイメージで作ります。作りながら細かいデザインを考えるので、ある程度大きな物でも、製作途中で気に入らない箇所が出てくれば、壊して作り直すこともありますよ。
私は頑張って作ってきただけで、表彰など考えたこともありませんが、大変名誉なことでありがたいです。賞は、今までずっと一緒に頑張って支えてくれた妻と2人で半分ずついただいたと思っています。
私と妻以外誰もいないので、機械で細かい部品を作り、組子は2人で作業しています。組子の基準となる骨組みは、正六角形、正三角形、縦横の真金組(まがねぐみ)、デザインが豊富な菱組(ひしぐみ)など色々あり、そこに組んでいく部品は大変細かく繊細なものです。実は、組子の組立作業よりも部品を作るのが大変なので、部品の大きさや用途によって機械を使い分け作業しています。
育成していかなくてはならないのですが、我々の弟子の時代と違って、実際に仕事が出来る出来ないに関わらず、ある程度生活出来るように給料を払わなくてはなりません。仕事が忙しくて有り余っているという事なら話は別ですが、今、建築業界はそういう状況ではありません。みんな自分の仕事で精一杯で、私も指導して教える余裕がありません。建具職人を目指して修行される方は、大学で学ぶように学費を払うつもりで来てくれると一番いいのですが。
今、建築中の住宅の多くは既製品で、必要な材料は初めからセットされているので、我々のように手作りの建具の出番は少なくなっています。例えば障子などは、紙を貼るのが面倒だし破れてしまうと敬遠されがちです。でも今は、破れにくい紙もありますし、障子紙は通気性もよく、光を通し、断熱効果もあるので、皆さんに使っていただきたいですね。
仕事は、本当に楽しくて夢中でしてきたので、つらいと思ったことはありません。つらかったと言えば家具店の弟子時代です。修行先のお子さんをおんぶして子守をしながら茶箪笥や箪笥を作っていたので、道路で高校生になった同級生に会いそうになると隠れたという経験もあります。でも、弟子時代に身につけた技術のおかげで、今も材料さえあれば何でも作れます。家の茶箪笥も作りましたし、作業場の応接室の棚も作りました。
一般建具を作る時は、この辺では青森ヒバや檜(ヒノキ)、杉を使用します。昭和53年に移転するまで作業場を置いていた東原では、車も人もあまり通らなかったので、道路の真ん中近くまで材料の切り出し作業をする時もありました。妻と「そういうこともあったね」と、笑って話しますが、道路に材料を出すなんて、今では想像できませんよね。
達成感はもちろんありますが、自分の気持ちよりも頼んだ人から認めてもらうのが大変です。自分で満足しても頼む人が満足しなければダメですね。
製作中の衝立(ついたて)が完成するのにはまだまだ工程がありますが、組子を組む部分だけで言うと物によっては2ヶ月-2ヶ月半ぐらいです。色が違うのは染めているわけではなく、綺麗なグラデーションになるように、そういう色合いの木材を選んで使います。
大きな作品であれば同じ寸法の部品を、機械をフル活用して何千も山のように作ります。組子の部品は、組んでしまえば丈夫ですが、とても薄いので、隙間なく嵌るように角を斜めに削ったりと、部品を扱う時は今でも怖いです。大小様々な部品に使用するため、数えきれないくらいの数の鉋(カンナ)などの道具も手作りしました。
衝立も表と裏で違う組子細工を施しています。普通の衝立であれば、表に組子細工がしてあっても裏は紙を貼ったぐらいで終わりです。でも私は、裏表趣きの異なる組子細工を施します。そうすれば、両面どちらから見ても楽しめますし、好みに合わせて飾れるわけです。「両方から見られるんですね!」と皆さんに喜んでいただいて幸せだなと思っています。
表は非常に細かい装飾をし、裏はシンプルなデザインの組子にします。両方細かいと値段も高くなりますので、そこも考慮して作ります。お客様に合わせてデザインして作るので、同じデザインのものはありません。
職人というのは、生涯勉強です。「これでいい」ということはありません。仕事のことは、寝ても覚めても、休みの日でも年中頭から離れません。昔、ある程度仕事が軌道に乗ってきた時も、他の人が車を買う中、私は機械を1つ、2つと入れて設備投資をして能率を上げてきました。その当時は、周りに設備投資をする方が少なかったので、「いつこんなに作るんだ」と驚かれました。機械の使い方も独学で、機械に着ける刃物も自分仕様に合わせて注文したものです。
病気もせず仕事に打ち込んで、ここまで妻とよく頑張ったと思います。
社寺の建物だと、宮大工さんの仕事になるので県外が多いです。福島、宮城、秋田、埼玉、一度、北海道の仕事もありました。
宮大工の棟梁の方が、私が最初に福島で手がけた仕事ぶりを見て、他の仕事でも私を指名してくださるようになりました。私たちのような職人は、コツコツ仕事に取り組むだけなので、やはり大工さんに認めていただけたことは大変嬉しいです。
展示会で見て気に入って買っていただいたり、口コミで買ってくださったりと様々です。何かのついでに私がお客様のところに持っていった時に気に入って買っていただける場合もあります。
素晴らしいものを作って一生を終えたいと思います。勉強を続けて、生涯この仕事に打ち込みたいと思っています。